2009年3月28日土曜日

与野党が推進する「減反選択制」とは・・・


減反選択制」について大変分かり易い記事がありました。


「減反選択制」、何がよくて、何が悪いかが、大変わかりやすく記述してありました。

言葉のマジックを、私たちは正しく理解し政治にモノを申さねばなりません。

一体誰のために日本の政治はなされているのでしょうか・・・。

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≪ 民主党案にそっくりな「減反選択制」は農協を守り農業をダメにする ≫
DIAMONDO online  2009年03月27日
【第13回】農業開国論 山下一仁(経済産業研究所上席研究員)
http://diamond.jp/series/agric/10013/

「 最近、農政改革の一案として「減反選択制」が有力視されている。これは、コメの生産調整(減反)に参加するかどうかは個々の農家の判断に任せ、参加する農家のみに米価の低下分を補助金で補填するというものだ。

 率直に言って、筆者はこの考え方に否定的だ。

 むろん選択制にすれば、減反が一部分だけ緩和する(減反に参加しない人が出てくる)ので、米価は一時的にある程度下がり、消費者の負担はその分軽減されるかもしれない。だが、どれだけの農家が減反から離脱するかによって米価低下幅は変動するため、事前に補助金の必要額を予測できないほか、減反への1割参加農家にも10割参加農家と同じく補償するのかという制度設計上の難しさもある

 またなにより大きな問題は、減反参加農家の大半が、コメの生産拡大意欲を持たない人たち、すなわち兼業農家になる可能性が高いことだ。財政からの補填で零細な兼業農家に現在の米価の水準を保証してしまえば、彼らは農業を続けてしまう。これでは、主業農家に農地は集まらず構造改革効果は望めない。

 高米価と減反政策は零細な兼業農家を温存してきた。その農政の繰り返しである。これは農家戸数を維持して政治力を発揮したい農協を利するかもしれないが、健全な農業を作ることにはならない。これまで主業農家は規模を拡大してコストを下げ人並みの所得を得ようとしても、農政がそれを阻んできたのである。

 そもそも筆者の案は、減反を思い切って廃止することで、日本農業の競争力を抜本的に高め、輸出もできるようにしようというものだ。ここで改めて、そのメカニズムを詳しく説明したい。

 現在東京都の面積の1.8倍の39万ヘクタールが耕作放棄されている。かつて米価が60キログラムあたり2万円を超えていた食管制度の時代には耕作放棄は話題にも上らなかった。なぜ耕作放棄が増加しているのか。それは農業収益が減少したからである。

2000年以降米価が25%低下したため、高いコストで生産している零細な兼業農家は農地を手放している。しかし、農地の受け手となるはずの主業農家も米価低下で地代負担能力が低下したため、農地を引き取れない。間に落ちた農地が耕作放棄されているのだ。これが耕作放棄の正しい理解である。
農水省の説明は高齢化したから耕作放棄するというものだが、それは間違いである。収益が低下したから、後継者が出てこないで高齢化するとともに、作ってもコストを償えないので耕作放棄するのだ。

山下一仁著『農協の大罪』(宝島社新書)
 高齢化と耕作放棄は同時に発生しているだけで、この二つの間に因果関係はない。高齢化と耕作放棄はいずれも収益低下の結果である。こうした状況で減反を止めればどうなるのだろうか。米価は一層低下するので、零細で非効率な兼業農家はますます農地を手放し、貸し出すようになる。他方、主業農家に直接支払いを行って、その地代負担能力を高めてやれば、農地は主業農家に集積し、規模が拡大し、コストは低下する。こうして日本の米作の価格競争力が高まれば、アジアなど国際市場にコメを輸出することが可能となるという考え方だ。

 繰り返すが、筆者の案の肝は、減反を止めて、主業農家に絞って所得補償の直接支払いを行うことである。これを農協は“零細農家切り捨て”と批判するが、主業農家のコストが下がり収益が増えれば、これらの農家も地主となって高い地代を受け取るようになる。租税の転嫁の議論と同じように、誰に補助金を交付するかということと誰がその利益を受けるかは別の問題である。零細農家は高い地代で農地の維持管理ができるようになる。耕作者だけが農業を行うのではない。また、零細兼業農家は農外所得により主業農家よりも高い所得を得ている。

 ところが、選択制の場合は、直接支払いの行き先は減反に加わる兼業農家になってしまう。直接支払いの対象が筆者の案と逆なのだ。月に着陸してもらいたかったのに、あらぬ方向に飛んで、火星に着陸してしまったというのが、長年にわたり減反廃止と主業農家への直接支払の必要性を説いてきた筆者の感想だ。

高校生でも分かる論理を無視する減反支持派


 この減反選択制は、石破農水相の考えではないと信じたい。当コラムで前回取り上げたように、石破農水相は減反見直しの旗を立てた。将来の完全な減反廃止や主業農家の育成につながらない選択制のような“まやかし”は、本心では彼の意図するところとは違うのではないかと思う。では、朝日新聞がスクープしたというこの“政府案”はいったいどこから出てきたというのだろうか。
 実は、筆者も取材に応じた『週刊ダイヤモンド』2月28日号の「農業がニッポンを救う」と題された特集を読んでいて、ある驚くべきことに気付かされた。民主党の「次の内閣」ネクスト農林水産大臣の筒井信隆・衆議院議員がインタビューに応じて答えていた民主党の戸別所得補償の内容が、現在流布されている減反選択制とほとんど同じだったからだ。これは生産目標数量(減反目標)を達成した農家、つまり減反参加農家に米価の低下分を補填するというものだ。これは減反選択制に他ならない。

 自民党は、党の方針としてはいまだに減反堅持であり、選択制にすら反対している。そうした状況下、野党案にそっくりの内容が農政改革の新しい針路の如く報じられるのはどういうことなのか。

 次の民主党政権を意識した農林官僚の先走りなのか。それとも自民党内の分裂なのか。真相は闇だ。いずれにせよ、重要なポイントは、自民、民主ともに、減反維持を前提にしか物事を考えていないということである。
 
 ちなみに、民主党も以前は、筆者と同じように、減反をやめて米価を下げて、直接支払の対象を主業農家に限定すべきだと選挙公約たるマニフェストに掲げていた。ところが2004年参院選のマニフェストでは、肝心要の「対象者を絞る」という文言を外してしまった。自民党から対象者を絞らないバラマキの直接支払いと批判された「戸別所得補償」の導入を主張し始めたのだ。
 
 しかも、2007年に参議院選挙で大勝すると、2008年6月になって減反の廃止すら撤回してしまった。具体的には、民主党「次の内閣」で承認された「当面の米政策の基本的動向」において、「米価下落の大きな要因は、米の需要を上回る過剰生産である。米の過剰作付けを抑制し、需給調整を確実に実行することが、米価安定のため、さらには自給率の向上のための基本要件であることはいうまでもない」と変節した。

 民主党の小沢一郎代表はかつてその著書で「関税ゼロでも自給率100%」と述べていたが、あの主張はいったいどこに消えたのか。関税ゼロの前提として国産米の価格を輸入品の価格以下に下げることがあったはずである。そのためには価格維持カルテルである減反廃止は当然の前提だったはずだ。
思うに、与野党の別なく、こうした発想になってしまうのは、経済のメカニズムを分かっていないか、兼業農家という大票田を確保するために意図的に無視しているかのどちらか、あるいはその双方だろう

 減反支持派は、減反を止めれば、農家はコメを作りたいだけ作ってしまうので米価がドンとさがると主張している。どこまで下がるかは言っていないが、米価がドンと下がると、農家はやっていけないから、食糧安全保障上問題だというのだ。

 60kgあたりコストが1万円だとして、米価が現在の1万円5000円から5000円に下がるとしよう。しかし、農家はいつまでも5000円の状態で生産するはずがない。さらに赤字が増えるからである。翌年は作付けを縮小するだろうし、コストを賄えない農家は退出する。

 そうなると、生産量・供給量は減って、値段は大きく上がる。これは、現に野菜で起きていることだ。豊作になって価格が暴落すると、翌期は作付けを控えるので価格が上がる。そして、やがては需要と供給が均衡する価格に落ち着くのである。米生産農家は野菜農家よりも愚かと考えているのだろうか。

 減反維持派が言っていることは、コスト1万円と米価5000円の状態がずっと続くと主張しているに等しい。赤字を出している農家が赤字を覚悟で未来永劫作り続けるという前提で語っている。

 つまりコメ農家やコメの生産量は減らないということである。その一方で、価格が下がると、農家が減って生産が減少するので食料安全保障上問題だと主張する。こうした矛盾した議論が国政を決定する場で何十年も繰り返されているのだ。コストを賄うことができなければ、経営を続けられないことなど、高校生でも分かる論理ではないのだろうか。
 さらに米価がドンと下がるのだろうか?中国産米の日本への輸入価格はすでに1万円にまで上昇している。輸送費や日本米の品質の良さを考えると9000円になれば日本のコメは輸出できるようになるということだ。

 仮に国内米価が5000円だとすれば、商社は日本米を買いに走り輸出に振り向ける。そうなれば、国内へのコメの供給は制限され、国内の米価は9000円まで徐々に上がっていく。それが価格裁定行為というものだ。

 アメリカでもどの国でも、自由経済のもとでは輸出の価格と国内の価格は同じ水準に収斂する。米価は輸出可能価格以下には下がらないのだ。それなのに、米価がドンと下がるという発想しかできないのは、貿易を行わないという「鎖国主義」を前提としているからである。農業・農政について「開国」が必要なゆえんである。

 また、民主党の農政提案をバラマキと批判する自民党のある議員は、減反を止めると米価が暴落して、1兆4000億円が必要になると発言したらしい。これは米価がドンと下がることを前提としているとともに、明らかに、すべての農家に対してバラマキの所得補償をするという前提で発言している。

 民主党の政策はバラマキだといいながら、自分たちもバラマキを前提にして試算している。また、参議院選挙で敗北してから、対象農家を絞るという考え方を大きく後退させてしまった。両党とも水田を票田としか考えていないことは五十歩百歩といってよい。

 結論を言えば、レストランの看板はそれぞれフレンチとイタリアンと違うが、出している料理は同じといった感じだ。総選挙の年だというのに、農政には与野党間で決定的な争点がない。これは極めて由々しき事態だ。 」


                                             以上

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